明治初期の構造を見ることができる鉄橋< 立江川橋りょう / 徳島県小松島市 >
鉄道遺産の宝庫・徳島県。
いわゆる「撮り鉄スポット」としてあまりにも有名な鉄橋があれば、「ただの橋」くらいに誰にも見向きされていない鉄橋もあります。それでいくとこちらは後者ですが、史跡としての価値は他でもあまり見られないものです。
立江川橋りょう
立江川橋りょう(たつえがわきょうりょう/徳島県小松島市)
県都・徳島市と県南地域を結ぶJR牟岐線の小さな鉄橋。
下を流れる立江川(たつえがわ)はその名が示す通り、四国八十八ヶ所第19番・立江寺(たつえじ)の近くを流れて、この場所で海に注ぎます。
煉瓦造りの橋脚
鉄橋が乗る三基の橋脚は煉瓦造り。
小口小口小口小口...
長手長手長手長手...
小口小口小口小口...
長手長手長手長手...
の「イギリス積み」
この場所は海水が混じる汽水域。潮の干満の影響を受けるので、水に浸かる下部の煉瓦に濃淡が見られます。
こちらは下流部。
間違い探しのようですが、上流部と下流部の橋脚を見比べてみてください。形状が異なることがわかります。
上流側は川の流れに対して尖った三角形になっているのに対して、下流側は平面になっています。
建造する手間の上では、四角く平面に造った方が簡単です。そこを時間をかけて三角形にする理由は、こうすることで川の流れを受け流すことができるため。立江川は大きな川ではありませんが、増水した時には水の力が増幅され橋脚に当たります。橋脚が平面だとそれを受ける形になり、橋梁自体を流出しかねません。
鉄道橋に限らず、一般的に橋の橋脚に円形が多いのはそのためです。
鉄道黎明期の橋桁
橋桁を支える橋台は両側とも煉瓦造り。桁を受けるために段差がつけられています。
それよりもここで特筆すべき点は、橋桁を補強する縦型の鋼材。
「し」もしくは「J」のような形状が特徴的なこちらは「ポーナル桁」
明治の鉄道敷設以降、最初に用いられた工法です。
名称はイギリス人建築技師チャールズ・ポーナルに由来。
いわゆる「お雇い外国人」として明治6年(1873)に来日。敷設される鉄道橋梁の多くを手掛けたが、明治18年(1885)に来日したアメリカ人土木技師ジョン・ワデルが鉄橋の過重不足を指摘。その論争に敗れる形で、明治29年(1896)にポーナルは帰国。以降の鉄橋はもちろんそれまでの鉄道橋も、ワデルが提唱するアメリカ製橋梁に架け替えられていった。
牟岐線の前身である阿南鉄道によって、この地に鉄道が敷設されたのが大正5年(1916)。
時代的に上記の橋桁論争は決着しています。ゆえに新たにポーナル桁で新造されることは考え難く、他所から転用されたものでしょうか。その辺り調べがつかなかったので詳しいことがわからないのですが、運転本数の少ない地方路線であれば問題にならない、と判断されたことでしょう。
建造から100年を超える鉄橋ですが、蒸気機関車や貨物列車など重量がある列車が運転されていた昔と違って、今この鉄橋を渡る列車の多くは平成時代に新造された軽快気動車。橋の負担はずいぶん小さくなったことでしょう。
立江川橋りょう(google mapによる地点登録はありません)
< 自家用車 >
高松駅から 約1時間40分、85km
徳島阿波おどり空港から 約45分、27km
< 公共交通機関 >
JR牟岐線・阿波赤石駅下車 徒歩すぐ
※ 主な地点からの最速・最短距離
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