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終戦間際に発生した列車空襲事件 < 那賀川橋りょう / 徳島県阿南市 >

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徳島県を代表する大河の一つ・那賀川(なかがわ)
剣山系の次郎笈(じろうぎゅう)付近を源流に、阿南市の河口までの河川延長約125kmは 徳島県最長。
(総延長では194kmの吉野川だが、これには高知県を流れる85kmが含まれる)

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河口に近いところに架かる、JR牟岐線(むぎせん)・那賀川橋りょう
単線非電化・全長470mを 10連のワーレントラスが支える構造。昭和11年(1936)架橋。
線路とトラスの外側は それぞれ歩道になっていて、歩行者と自転車が歩いて渡ることが可能です。

第二次世界大戦末期。
この鉄橋に差し掛かった列車が 米軍艦載機に空襲を受け、多数の死傷者を出しました。橋をよく観察すると、その痕を見ることができます。

下流側の歩道を歩いて機銃掃射痕を探す

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下流側の歩道を、

左岸(阿波中島駅)
から
右岸(阿南駅)

へ向かって、歩き始めます。

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するとすぐに見つかるのが、鋼材に刻まれた機銃掃射の痕。開いた穴の大きさから、12.7mm砲と見られます。

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昭和20年7月30日、午後4時頃。
手前の阿波中島駅を発車した列車が 那賀川橋りょうに差し掛かった時に、米軍艦載機二機が飛来。爆撃により車両が大破・脱線したところへ機銃掃射を浴びせた。
目撃者の証言によると、身動きが取れなくなった列車へ 米軍機は旋回を繰り返しては何度も襲来し、川に飛び込んだ人や 鉄橋上を逃げ惑う人らまでも狙って、繰り返し攻撃を加えたと記されている。

"列車が鉄橋に差し掛かった時" という記録と、弾痕が残る位置が 1号トラスと2号トラスに集中していることから、史実通りであることがわかります。

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鉄橋を見学していたら、上り各駅停車がやってきました。列車が接近するに伴って、なかなかの音と振動が伝わってきます。
この時は一両編成の列車ですが、かつては長大編成の客車列車や貨物、より重量のある蒸気機関車が走っていたことを考えると、橋の強靭さに頭が下がります。

戦争による惨禍を含めて 架橋から80年過ぎている橋とは思えません。

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鉄橋横の歩道を渡り、川の右岸(=阿南駅寄り)へやってきました。
下流側の歩道から 線路をくぐって、上流側の歩道へスイッチ。行きとは違う道を歩きながら 鉄橋を散策します。

上流側の歩道を歩いて機銃掃射痕を探す

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罹災地点が川の左岸近くなので、阿南側から歩いてくると しばらくそれらしき痕は見つかりません。

2号トラス(3号トラス?)の辺りから、桁の損傷が見られるようになります。

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鋼材の角で硬い部分だと思いますが、銃弾が貫通しています。
そんなものが 無抵抗の列車や乗客に向けて、雨あられのように降り注いだ...

生身の人間はひとたまりもありません。

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2号トラスで見られる斜め鋼材の損傷。那賀川鉄橋列車空襲 最大の痕跡ではないかと思います。
機銃掃射で鉄橋に穴を開けることができたとしても、12.7mm砲では 鋼材を曲げるまではなかなか難しい。

これも史実によると、米軍機はまず始めに投爆を行い 先頭の機関車を立ち往生させてから、機銃掃射を加えたとあります。爆弾としたら この歪みは然るべき損傷です。

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那賀川鉄橋空襲により、32名の死者と 50名を超す負傷者が発生しました。
こちらの碑は、川の左岸。鉄橋渡り口近くに建てられています。

那賀川橋りょう

< 自家用車 >
高松駅から 約2時間、93km
徳島阿波おどり空港から 約1時間10分、41km

< 公共交通機関 >
JR牟岐線・阿波中島駅下車 徒歩約7分、500m

※ 主な地点からの最速・最短距離

この記事を書いた人

野瀬 章史
野瀬 章史/ゲストハウスそらうみ 四国八十八ヶ所霊場会公認先達 法名・照山の僧籍

四国高松でゲストハウスそらうみを運営する傍ら、四国八十八ヶ所霊場会公認先達として、お遍路さんの案内を務める。法名・照山(しょうざん)の僧籍も持つ。趣味はバイクツーリング、カヌー、登山、鉄道、料理など。日本の全離島・全地点を隅々まで回るべく、愛犬しょうとの日本一周旅の途上。