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國境最前線。山奥の番所跡<船津番所跡/徳島県海陽町>

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「土佐は鬼國」とは、藩政時代に四国八十八ヶ所を回る巡礼者たちの間で恐れられた格言。遍路に限らず他藩からの入国や、領民の出国に特に厳しかったと言われる土佐藩。国境地帯には番所が設置され、人々の出入国を厳しく取り締まっていた歴史があります。

船津番所跡

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明治以前から存在したかもしれない?猪ノ垰(いのたお)トンネルを通行して下ってくると、差し掛かるのがこちらの場所。

山深い場所で人家はまばら。室戸岬方面へ向かうにしても海沿いの国道55号を通ることが一般的なので、このエリアで山間部へ入ることは稀。

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郵便ポストが設置されていることから、船津集落の中心だったのでしょうか。後ろの建物は何かの商店のようですが、現在は営業されていない印象を受けます。

ポストの後方に存在する一本の石柱、

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船津番所跡
宍喰町教育委員会

とあります。
峠のトンネルを越えたので、てっきり高知県に入った感覚でおりましたが、ここはまだ徳島県でした。

番所とは街道の重要な場所に設置され、出入國のチェックを行っていた場所。高知県との県境近いこの場所は、徳島・高知両県の入口であり出口でもある。

本来の土佐浜街道は現在の国道55号に相当。そこに設置された古目番所(こめばんしょ/阿波)東股番所(ひがしまたばんしょ/土佐)が主たる番所なので、山奥にある船津番所は支所のような存在でしょうか。

藩政時代、土佐藩は出入国に関して特に厳しい制度を敷いていたことで知られます。

土佐は三方山に囲われて正面は荒海(太平洋)。
産業を興しても売りに行く先は無く、かと言って山がちで人口が少ない自国では大きな収益は見込めない。また、台風などの自然災害が多いため、その復旧に手間取ることが多い。他国と比べて暮らしていくには不利な条件がいくつもあり、人口は少なくても食糧の確保は容易では無く、四国遍路であっても受け入れを制限せざるを得なかった事情がある。スパイが巡礼者を装って入国することもあった。
領内の事情を他国に知られないために国への出入りを厳しく取り締まることは、この時代珍しいことではない。

取り締まりが厳しい本街道にある番所を避けて山奥の道を進む者も居たことでしょう。藩からするとそこを補完するために、こんな山奥であっても番所が置かれていたのでは?と想像することができます。

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薄く消えかかっていますが、角の商店は酒屋さんだったようです。日本全国どんな場所へ行っても酒屋はあります。

お酒の銘柄が「土佐鶴」とあります。この場所は厳密には徳島県ですが、食文化的には土佐が入り混じっているようです。

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日本の郵政の素晴らしいところ。こんな山奥にも毎日集荷に訪れていることでしょう。

こちらの郵便ポストは「郵便差出箱9号」
昭和49年(1974)以降、取り扱い規模が小さい場所に設置されたもの。

周辺散策のため30分ほど付近に居ましたが、人や車の通行はありませんでした。

國境画定の伝承

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さきほどの船津番所跡から少し走ったところに、高知県との県境があります。

県界がこの場所に画定された逸話に、

「牛ヶ石馬ヶ石(うしがいしうまがいし)」

の話があります。
阿波と土佐、それぞれの殿様が牛と馬に乗り、それぞれがぶつかる場所を國境と定めることとした。それがこちらの場所です。伝承の由来となった石が川の中にありますが、この時は草が繁茂していて確認することができませんでした。

川の中にある巨岩が牛ヶ石馬ヶ石。少し分かりにくいですが、ストリートビューで見ることができます。

野根山街道と合流

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川沿いの道を下って行くとやがて道が広くなり、ほっとします。

国道493号と合流するこの場所、真っ直ぐ進めば野根集落で土佐浜街道と合流。右に曲がれば四郎ヶ野峠(しろがねとうげ)を経て奈半利(なはり)へ向かう、室戸岬をショートカットする野根山街道

今でこそ片側一車線確保の快走路・国道55号(旧土佐浜街道)ですが、近年まで野根集落から南は未開の地。
「跳ね石飛び石ゴロゴロ石」と呼ばれる悪路・淀ヶ磯(よどがいそ)を歩かなければならず、力尽きて倒れる者、運悪く高潮にのまれて命を落とす者などがあり、旅人や四国遍路の中で恐れられた。

野根(のね)
の地名の由来は、安全な天候・時間帯に難所である淀ヶ磯を通過するために、野(の)で寝(ね)て時間調整をした事に由来する。

そんな危険で安定しない道を進むよりも、中世以降は浜道を進まず野根から西へ向きを変えて山を越え、奈半利を目指す野根山街道が好まれました。
古くは平安時代に国司(こくし)として赴任した紀貫之(きのつらゆき)。江戸時代に入封した山内一豊(やまうちかつとよ)も、土佐入りは野根に上陸して徒歩で高知を目指した記録が残されています。
近世ではこの地域で捕らえられた野根山二十三士江藤新平も、野根山街道を越えています。

船津番所跡

< 自家用車 >
高松駅から 約3時間30分、166km
徳島阿波おどり空港から 約2時間30分、108km
高知龍馬空港から 約2時間20分、94km

※ 主な地点からの最速・最短距離

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この記事を書いた人

野瀬 章史
野瀬 章史/ゲストハウスそらうみ 四国八十八ヶ所霊場会公認先達 法名・照山の僧籍

四国高松でゲストハウスそらうみを運営する傍ら、四国八十八ヶ所霊場会公認先達として、お遍路さんの案内を務める。法名・照山(しょうざん)の僧籍も持つ。趣味はバイクツーリング、カヌー、登山、鉄道、料理など。日本の全離島・全地点を隅々まで回るべく、愛犬しょうとの日本一周旅の途上。