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山々に張り巡らされていた森林鉄道の遺構<法恩寺跨線橋/高知県奈半利町>

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かつて野山で切り出された木を運搬するために、全国の山々には森林鉄道が敷設され活躍していました。しかしながら、戦後に外国製木材の輸入本格化や山そのものの資源枯渇によって、その殆どが姿を消しました。高知県東部にあるこちらの森林鉄道もその一つ。日本三大美林の一つとされる「魚梁瀬杉(やなせすぎ)」を運ぶために敷設されました。

魚梁瀬森林鉄道(やなせしんりんてつどう)

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法恩寺跨線橋(ほうおんじこせんきょう/高知県奈半利町)

【安田川線】田野貯木場-釈迦ヶ生(しゃかがうえ)...33.1km
【奈半利川線】奈半利貯木場-石仙(こくせん)...49.8km
の二線の主要路線から成る「魚梁瀬森林鉄道(やなせしんりんてつどう)」の後者に架かる石造り橋梁。
森林鉄道の歴史は古く前身となる牛馬道の開通は明治28年(1895)。最盛期には支線を含めると路線延長は約250kmにも及び、国内屈指の森林鉄道網が形成されていました。

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こちらの石造りの跨線橋はその遺構。
左側に集落、右側の丘の上に寺院があり、森林鉄道敷設時に参道を寸断する形になるため設けられたもの。

昭和6年(1931)の奈半利川線に敷設に伴って建設されたとされています。

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アーチを形成する資材は石材。
明治の初め頃に造られた鉄道建造物には石の橋脚やトンネルアーチを見ることができますが、こちらが建造された昭和初期はコンクリート資材が一般的。

考察するに、昭和6年(1931)と言えば満州事変が勃発した年なので、新資材は軍事利用が優先されて回ってこなかったか。
全てのものが困窮していた大戦末期ならそれも考えられますが、この時代はそこまでではない気がします。むしろ林業は富国強兵・殖産興業の観点から産業として奨励されていたので、森林鉄道の敷設は他と比べると優遇されていたはず。

石材の産地で、石にこだわりを持った敏腕の職人さんが居たか。

これが国鉄や民鉄のような旅客営業を行う鉄道事業者の工事なら記録が残っているのでしょうが、こちらは木材の運搬を主目的としている森林鉄道。このアーチ橋の竣工自体も「昭和6年ごろ」となっているように不明な点が多いため、橋が石で造られた理由は謎の域を出ないところです。

森林鉄道規格

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魚梁瀬方面

急峻な山岳地帯を進むことが前提の森林鉄道。そこで広く用いられた軌間(きかん、レールの幅)は762mm

日本国内ではJR在来線の1,067mm・新幹線の1,435mmが広く存在する軌間ですが(※例外有り)、魚梁瀬森林鉄道は新幹線の約半分の幅の列車が運転されていたということになります。

一般的にレール幅が狭くなるメリットは、工事面積の縮小や急曲線の敷設、列車の小型化が可能。そのどれもが森林鉄道に求められる特性です。

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奈半利貯木場方面

行く先の緩やかなカーブが鉄道の痕跡を留めています。

法恩寺跨線橋がある場所は終点の貯木場のすぐ近くなので、ここから歩いて向かってみます。

奈半利貯木場に残されている森林鉄道の遺構

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かつての奈半利貯木場
現在は西側(手前)が鉄工所になっていますが、東側(奥)には木材がたくさん積まれているように、山から切り出された木材の集積地として機能しています。かつてはこの場所へ森林鉄道を通じて運ばれていた木材ですが、現在はトラック輸送がその役を担っています。

ここにかつての森林鉄道跡が無いものか探していると、

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ありました!

国道から分かれる地点にあるこちらのボックスカルバート。幅からも軽便鉄道のもので間違いありません。

それよりもカルバート左上にある金具に注目です。こちらは通信ケーブルを束ねていた部品で、白く見えるものは「碍子(がいし)」
陶器製で導電性が低く、絶縁部品として欠かせない部品。現代の鉄道とは形状が異なったり、そもそも通信ケーブルは地中に埋設することも多いので、このように宙吊りすることが少なくなりました。これも鉄道跡の立派な痕跡です。
碍子は一般の家屋でも、電気ケーブルを梁(はり)などに沿わせていた古民家などへ行くと見ることができます。

寺院への参道として

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再び法恩寺跨線橋に戻ってきて、橋を渡ってみることにします。

東海道本線のような列車や貨物が頻繁に往来する幹線ならいざ知らず。低速で不定期運転の森林鉄道であれば、第四種踏切(遮断機・警報機無し)を設置すれば事足りるように思いますが、当地の林業に賭ける意気込みや敏腕の職人さんのおかげで、現代人が目にしても造形の美しさと迫力を感じる建造物として残されました。

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橋の上から貯木場方面
鉄道跡のカーブがより分かります。

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橋の上から魚梁瀬方面

当時から家屋があったかどうか判りませんが、本当にわずかな敷地に鉄道が敷設されていたことがわかります。それこそが762mmの軽便鉄道規格の良さでもあります。

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階段を上がって、跨線橋を眺めたところ。結構な傾斜の階段なことがわかります。

また、太平洋(海)もすぐそこ。
この山から海までの近さ。温暖で雨が多い気候。これらの要因が木々を育み、木材の出荷にあたり有利な条件が揃っていることで、良質の杉の産地として名を馳せています。

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跨線橋と階段を上がったところにある「三光院(さんこういん)」さん。

法恩寺跨線橋は地元では「アーチ橋」の名で親しまれ、集落から寺院へ向かう参道の一部として現在も利用されています。

旧魚梁瀬森林鉄道法恩寺跨線橋

< 自家用車 >
高松駅から 約2時間50分、167km
高知龍馬空港から 約1時間、43km
< 公共交通機関 >
土佐くろしお鉄道ごめんなはり線・奈半利駅下車 徒歩約15分

※ 主な地点からの最速・最短距離

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この記事を書いた人

野瀬 章史
野瀬 章史/ゲストハウスそらうみ 四国八十八ヶ所霊場会公認先達 法名・照山の僧籍

四国高松でゲストハウスそらうみを運営する傍ら、四国八十八ヶ所霊場会公認先達として、お遍路さんの案内を務める。法名・照山(しょうざん)の僧籍も持つ。趣味はバイクツーリング、カヌー、登山、鉄道、料理など。日本の全離島・全地点を隅々まで回るべく、愛犬しょうとの日本一周旅の途上。