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日本最古の跳ね橋、国内で唯一 現役稼働中 < 長浜大橋 / 愛媛県大洲市長浜町 >

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四国愛媛に、全国に現存する中で 最も古い道路開閉橋 が存在します。

長浜大橋

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長浜大橋(愛媛県大洲市長浜町)

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橋のたもとに立つ親柱
そこに掲げられた扁額 「長濱大橋」

どちらも開業当時のもの。

日本最古であり、現役唯一の可動橋

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昭和10年(1935)3月架橋。
同年同月、ヒトラー率いるナチスドイツが ヴェルサイユ条約を破棄。第二次世界大戦勃発へ加速しました。

日本国内で 道路開閉橋(=跳ね橋)として有名なものに、東京の 勝鬨橋(かちどきばし) があります。
こちらは昭和15年(1940)6月の竣工なので、供用が開始されたのは 長浜大橋より後の時代。
また、開閉橋の構造は残しているものの、昭和45年(1970)の試験開閉を最後に開閉は行われておらず、昭和55年(1980)には 機械部への電力の供給も停止されている。

一方、長浜大橋は毎週日曜日・午後13時に開閉が行われる。日本最古であり、現役跳ね橋という点が特筆されます。

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平成21年(2009) 経済産業省 登録有形文化財 認定
平成26年(2014) 日本国 重要文化財 指定

長浜大橋の上へ

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道路の幅は 当時としては広く、現代としてはやや狭い。

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橋の可動部

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地域の発展のために 肱川(ひじかわ)の両側を行き来する橋が計画されたが、当時は川が流通の中心。上流で生産される生糸や木蝋を 県外に出荷するために、物資輸送船が頻繁に行き来していた。

橋を架けてしまうと、船舶の往来を妨げてしまう。
かと言って、当時の技術では 橋脚の間隔が広いものや 高さがある橋を架けることは、技術的に困難があった。

そのため、橋の中央部が跳ね上がることで 船舶の往来が可能となる、道路開閉橋が採用された。

橋の可動部分

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橋の中央部、赤く道路ペイントされたところが可動部分。

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橋を持ち上げるための カウンターウェイト(おもり)

重さ約82トン
可動時は このおもりを下げることで橋(道路)を持ち上げ、少ない電力で橋が開閉できる構造。

肱川という交通路

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橋の上から 肱川上流を眺めたところ

川の上流域には、大洲や野村などに代表される生糸(蚕)。内子の木蝋など、いずれも日本の近代化に大きく寄与した特産品が 肱川の水運によって、県外・国外へ出て行きました。
物ではありませんが、坂本龍馬は土佐國(現高知県)から脱藩時、伊豫国(現愛媛県)へ入り 肱川の水運を利用して 肱川河口の街・長浜へ。そこで一宿を取った後、四国を脱出したとされます。
道路・鉄道などの陸上交通路未整備の時代。川と船は 今では想像できないくらい、流通・交通ともに重要でした。

現在、交通の主役は下流の新橋へ...

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橋を渡り切ったところ(左岸)

「ながはまおほはし」
の扁額が掲げられた親柱が目に入ります。

制限重量が2トンであり、幅が2.2m。

現行のホンダ フィットの車幅が 1695mm(1m69cm5m)なので、幅の余裕は約50cm(片側25cmずつ)。
現代の交通事情に置き換えると 余裕があるものとは言えません。

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昭和52年(1978)、下流側に新しく橋が架けられました。

新長浜大橋... 全長333m、幅10m
長浜大橋... 全長226m、幅5.5m

幹線道路としての役割は 新橋に譲ったものの、肱川を挟んで 東西の集落を行き来する道として旧橋は今も重要な生活道路であり、地域の方々からは "赤橋" の名称で親しまれています。

長浜大橋

< 自家用車 >
高松駅から 約2時間40分、190km
松山空港から 約1時間、39km
< 公共交通機関 >
伊予長浜駅下車 徒歩約15分、1.0km

※ 主な地点からの最速・最短距離

この記事を書いた人

野瀬 章史
野瀬 章史/ゲストハウスそらうみ 四国八十八ヶ所霊場会公認先達 法名・照山の僧籍

四国高松でゲストハウスそらうみを運営する傍ら、四国八十八ヶ所霊場会公認先達として、お遍路さんの案内を務める。法名・照山(しょうざん)の僧籍も持つ。趣味はバイクツーリング、カヌー、登山、鉄道、料理など。日本の全離島・全地点を隅々まで回るべく、愛犬しょうとの日本一周旅の途上。