コトバスコラム

四国にもあった特攻部隊 < 白菊隊 / 高知・徳島>

前浜掩体壕16

現高知龍馬空港、かつての高知海軍航空隊基地。空港周辺に残されている掩体壕が ここに戦争があったことを伝えています。

高知にもあった "特攻"

前浜掩体壕20

白菊(Wikipediaより引用)

海軍所属の練習機で、主に訓練や航空写真撮影等 戦闘任務以外に用いられた飛行機。
戦局の悪化に伴い 昭和20年(1945)1月、大本営により 全軍特攻が決定される。この頃になると海軍では実用機が不足していたため、練習機である白菊も攻撃に参加することとなった。その性格から主だった武装が行われていなかった白菊が出来得る攻撃は...

特別攻撃、すなわち特攻だった。

白菊には特攻を行うための改造が施される。
両翼に250kg爆弾がそれぞれ吊り下げられ、戦地(沖縄)への航続距離を稼ぐために 機内後部席に燃料タンクを増設、容量が480リットルから700リットルに増備された。翼に懸垂することになった爆弾は 当初の計画では、コックピット内に板を敷いて そこに爆弾2個を置き、ワイヤーで縛って固定することが考えられていた様子。

通常では考えられないほどの重量である特攻装備を搭載した白菊は、最大100ノット(時速約180km)程度で航行することがやっと。高高度を飛行することができなければ 敵機が現れても迎撃する術を持たない。そのため、特攻は夜間に行われた。

爆弾を抱えて暗い海を何時間も航行して、最後に敵艦に突っ込む...

パイロットの心情を考えると、想像を絶するものがあります。

前浜掩体壕17

米軍からしても、まさか鈍足の練習機が特攻を行うとは考えておらず、夜間攻撃であることも相まって それなりの戦果を上げたとされる。それによって米軍の警戒は強まっていったとされるが、極限までの軽量化・簡素化によって 白菊は無線が搭載されておらず、当時の海軍に 詳しい戦果等は伝わっていない。

沖縄戦の終了によって一旦は打ち切られた白菊特攻だったが、その後も来たる本土決戦に備えて出撃の準備が進められた。しかしながら 終戦により再び白菊特攻が行われることは無かった。

これら白菊特攻によって 徳島白菊隊56名・高知菊水隊52名の尊い命が、沖縄の海に散った。

平和の尊さを今に伝える 動かぬ証人

前浜掩体壕18

掩体壕の向こうに 現高知龍馬空港の管制塔が見えます。
この場所にはかつて香美郡三島村と呼ばれる自治体があったが、高知飛行場建設により 村域の殆どを供出させられ 人口が激減、村の歴史を閉じた。

住民・軍人 皆が戦争に勝つために、一つになっていたのです。

- 香美郡三島村
明治22年(1889) 発足
昭和17年(1942) 近隣町村との合併により消滅
昭和19年(1944) 高知海軍航空隊基地 開場

前浜掩体壕19

"自分のやりたいこと"
にチャレンジできる現代日本。この幸せな社会は 多くの先人の犠牲によって得たもの、と心得ておきたい。

高知県南国市の掩体壕群は そのことを知らせてくれる、物言わぬ証人であるように思います。

前浜掩体壕群

< 自家用車 >
高松駅から 約2時間、129km
高知駅から 約30分、18km
高知龍馬空港から 約10分、3km
< 鉄道 >
土佐くろしお鉄道ごめんなはり線 立田駅下車 徒歩約50分、3.5km
< 徒歩 >
高知龍馬空港から 約30分、2.7km

※ 主な地点からの最速・最短距離

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この記事を書いた人

野瀬 章史
野瀬 章史/ゲストハウスそらうみ 四国八十八ヶ所霊場会公認先達 法名・照山の僧籍

四国高松でゲストハウスそらうみを運営する傍ら、四国八十八ヶ所霊場会公認先達として、お遍路さんの案内を務める。法名・照山(しょうざん)の僧籍も持つ。趣味はバイクツーリング、カヌー、登山、鉄道、料理など。日本の全離島・全地点を隅々まで回るべく、愛犬しょうとの日本一周旅の途上。