川之江の紙と文化にふれる旅(紙のまち資料館、浜公園|愛媛県四国中央市)
前回ご紹介した川之江城の姫ケ嶽(ひめがたけ)から、遠くに見えた広い広場。

「あれは......何の施設だろう?」
そんな小さな好奇心から、今回の旅が始まりました。
愛媛県四国中央市――通称「紙のまち」と呼ばれるこの町には、製紙の歴史とともに育まれてきた文化、そして静かに語られる記憶があります。今回は、そんな川之江で過ごした「紙と文化にふれる一日旅」をお届けします。心地よい海風が吹く浜公園から、紙のまち資料館での発見まで。ぜひ、一緒にこの旅路をたどってみてください。
【浜公園】 工業地帯と自然が共存する
川之江城から車で約6分。
天守から見えていた広場は「浜公園」と呼ばれる複合施設でした。
公園内には、立派な野外球場の「川之江野球場」。

サッカーや陸上などを楽しめそうな「サブグラウンド広場」と「多目的グラウンド」。老若男女が気軽に楽しめそうな「パークゴルフ広場」。保護者と子供の明るい声が響く「こども広場」。これらの広場が集合した複合施設でした。
その中でも、特筆したいのが「子供広場」。


大型遊具、スリーオンスリー用バスケットコートなど、遊ぶための公園広場としての機能面も然ることながら、トイレにはオムツ替え台やチャイルドシートがしっかり整備されていて小さなお子様連れの方でも安心して遊ぶことができます。
バスケットコートの横に位置する、こちらの坂道を上ると東屋が。


東屋のベンチからは「瀬戸内海らしさ」と「工業地帯らしさ」のある景色を眺めていると瀬戸内海の風が心地よく吹き抜けて、ここでしか味わえない景色と時間がありました。

私が訪れたのは昼間でしたが、訪問時間が夕方の夕暮れ時などだと、とても雰囲気の良い、ここだけの写真が撮れそうです。
【紙のまち資料館】 紙と人の歴史にふれる
浜公園の余韻を胸に、次の目的地「紙のまち資料館」へ。浜公園からも、川之江城からも、車で5分ほどの距離にあります。



入館無料のこの施設では、川之江が培ってきた製紙文化を中心に、書道や紙工芸に関する展示が楽しめます。
・ 書道パフォーマンス文化を育むまち・川之江
館内に入ると、まず視界に入るのが、ロビーの吹き抜けにあるこちらの書道パフォーマンス作品。書道パフォーマンス甲子園優勝校の作品です。

実は、「紙のまち」であると同時に「書道パフォーマンスのまち」でもある川之江。
というのも、愛媛県立三島高等学校書道部員たちが、町おこしの一環として地元を盛り上げようと、平成13年頃から高校の文化祭や地元のイベントなどで音楽にあわせて大きな紙に歌詞を揮毫する「書道パフォーマンス」を始めたことをきっかけに、平成20年に第1回書道パフォーマンス甲子園が四国中央紙まつりのイベントの一つとして開催されました。平成22年5月にはこの大会がモデルとなった「書道ガールズ!!わたしたちの甲子園」という映画が公開され、参加校が3校だった第一回大会が今では100校を超える応募がある大規模な大会へと歩みを遂げたのです。
・ なぜ川之江は"紙のまち"になったのか?
そんな書道にも欠かせない紙。
いつ頃から、なぜ川之江では紙作りが盛んだったのでしょうか?

川之江地域で、紙づくりが始まったのは江戸時代(西暦1700年代)の頃と伝えられており、山間部が和紙の原料となる楮(こうぞ)や三椏(みつまた)の栽培に適していたことから「日本一の紙のまち」の歴史は始まります。
また、瀬戸内海に面しており、安定して供給される水も大きな要因の一つ。
紙産業を成長させ、和紙から洋紙が主流になってからも荷揚げや荷出しに便利な港があることから、今もなお、パルプ・紙加工製造業における出荷量は全国有数を誇り、「日本一の紙のまち」としての歴史を紡いでいます。
・ 和紙ができるまで――手仕事の工程を知る
ロビーを抜けて、2階に上がってきました。

2階には、紙の生産工程が分かる展示室、紙すき体験ができる手すき実習室、水引細工や絵手紙などペーパークラフトが楽しめる実習室があります。
こちらは、展示室にある「和紙の原料」です。

主に、楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)という植物が使われています。これらの植物は、繊維が長くて強いため、薄くても破れにくい紙を作ることができます。特に楮(こうぞ)と雁皮(がんぴ)は日本に自生しており、三椏(みつまた)は約400年前に外国から伝わりました。
一口に「和紙の原料」といっても、産出国とその栽培環境によって異なる特性を持っています。写真からも分かるように、白っぽかったり黒っぽかったり、その色や大きさ形などは画一的なものではありません。どの材料を使うかによって、紙の性質も変わってくるのです。
また、紙を作るには、いくつもの大切な工程が必要です。
選んだ原料を大きな釜で煮る「煮塾(にじゅく)」という工程を行います。この作業によって、紙を作るための重要な繊維だけを取り出せるようになります。その後、「叩解(こうかい)」という工程で、煮た原料をたたいたり、水の中で混ぜたりしながら細かく叩いてほぐしていきます。この作業によって、繊維がふわふわになり、なめらかな紙を作るための準備が整います。
ほぐした繊維は「配合(はいごう)」という工程で、水や他の材料とバランスよく混ぜられます。紙の質を良くするために、のりのようなものを加えることもあります。こうして紙のもととなる液ができあがります。
次に、「抄紙(しょうし)」という工程で、特別な網(すき枠)を使い、水の中の原料をすくい上げます。ここで紙の形がつくられますが、この時点ではまだ水分が多く、しっかり乾かす必要があります。最後に「乾燥」の工程で、紙を機械や空気の力を使って乾かします。これによって、書いたり折ったりできる丈夫な紙が完成します。

どの工程にも熟練の技が必要で、長年の経験がなければ、商品として通用する紙をつくるのは難しいそうです。日常で何気なく使っている紙も、多くの手間と努力がつまっているんですね。
・ 伝統工芸 伊予水引の美しさと技を知る
そんな紙作りに関連して、実は、お祝い事のご祝儀袋にも使われる「水引(みずひき)」も川之江の伝統工芸。この地で作られた水引は「伊予の水引」と呼ばれており、長野県飯田市と並ぶ水引の全国二大産地となっています。

元々、江戸時代に髪を束ねるための元結(紙を細くこより状にした細い紐)の需要が高まり、紙の生産が盛んであった川之江でも多く生産されました。しかし、明治時代に入ると断髪令が出され、その需要も減少。元結業者が廃業に迫られる中、地元の職人たちは元結の技術を活かして、製造工程が類似している水引の生産へと転換し、結納飾りや祝儀袋などの装飾品として発展させたとされています。
水引は、その結び方によって、それぞれ意味があります。

水引の種類は、大別すると次の2通り。
結婚祝いや快気祝い、葬儀などの弔事など「二度と同じことが起こらないように」という想いを込める時は、簡単にほどけないように固く結んで、結び目の先端が上にくるように結んだタイプの水引(結び切り)を使用します。
また、出産祝い、合格祝い、入学祝いなど「何度繰り返してもめでたいですね!」という想いをこめる時には簡単にほどくことができて、何度も結び直すことができる蝶結びタイプの水引(蝶結び)を使用します。
と言っても、その水引の姿は実に千差万別。生き物や形を象った水引も多く、見応えがあります。



その時々に応じた想いを、その人らしさを、水引に込めてプレゼントしたり、身に着けたりするのも良いですよね。
かくいう私自身が「水引」大好き人間でして......。
実は、会社デスクの引き出しに「梅結びタイプ」のミニサイズ水引を忍ばせています。
寒中を耐え忍び、春先には香りの良い花をつける縁起物である梅。実際の梅を置くことは難しいと思うのですが、こういった水引だと好きな色が選べるし、お守り代わりにもなるので、個人的には、こういう使い方もオススメです。何より、引き出しを開けるたびにかわいいがあると幸せです。笑
・ 製紙と戦争――もうひとつの歴史を知る
そして、何より衝撃だった展示物がこちら。

展示室の一角、異質な存在感を放つ大きな丸い物体。
これが何か、あなたはご存知でしょうか?
これは「風船爆弾(気球爆弾)」と呼ばれるものです。
私は、その場の説明を読んで「風船爆弾(気球爆弾)」の存在をこの日初めて知りました。
「風船爆弾(気球爆弾)」とは、第二次世界大戦中に旧日本軍が開発した兵器で、気球に爆弾と焼夷弾を搭載し、偏西風を利用して日本本土から直接アメリカ本土へ飛ばすという目的で作られた兵器です。

実際の風船爆弾の気球部分は、直径約10mの大きさで、「こんにゃく糊」と「和紙」を使用して作製されました。戦時中は、約9,300個が空に放たれ、少なくとも1,000個以上が米大陸に到達したといわれています。
当時、紙の製造には規制がかかっており、川之江の製紙業の存続が危ぶまれた中でも「風船爆弾の気球部分を作る」という名目があったことにより製紙業を続けられたという側面もあったと考えられます。
風船爆弾の材料となる和紙を大量に生産をするため、全国から製紙業者が動員されます。そして、それとは別に、風船に使用する和紙の貼り合せ作業や、球体の紙片を球体に成型する作業は、手先の器用な県立川之江高等女学校の学生たちが動員されました。
「紙を作る製紙業者」「女学生」。
戦闘員ですらない人たちが、当たり前に戦争に加担しなければならない状況下だったというわけですね。
実際に作業に携わったという女学生は、後にこう語っています。
「作業にかり出されたのが自分たちだけなら腹も立ったかもしれないが、当時はみんなどこかしらで何かしら国のための仕事をしていた。風船爆弾をつくったことは、今まで生きてきた過程の一つで、少なくとも後悔はしていない」
この言葉を受けて、今、自分自身は「国のために」と思って仕事をすることは無く、それが当たり前でも構わない平穏な時代であることの"有難さ"を噛みしめる思いになりました。
まさか「紙のまち資料館」で戦争についてのこんな展示があるとは、つゆとも思わず。
紙と戦争が繋がることに驚くとともに、いかに戦争というものが、身近な生活を食いつぶしていくものなのか、そこに悪意なく人を傷つけてしまうものなのかを痛感して、心が痛みました。戦争というものが、どれだけ多くの人々の暮らしや営みに影を落とすのか......。その現実に、胸が詰まる思いでした。
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ふらっと訪れた川之江の一日。
広々とした浜公園で風に吹かれ、子どもたちの笑い声に癒され、資料館では"紙"という身近な存在が持つ奥深さと、時代を超えて紡がれる物語に触れました。また季節を変えて、今度は誰かを連れて来たくなる、そんな場所です。
川之江という町は、静かに、それでいて確かに、人の営みを今に伝えてくれる場所でした。
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※詳しい情報は外部サイトをご確認ください。
【浜公園】
所在地 〒799-0101 愛媛県四国中央市川之江町4107-2
サイト http://sports.shikokuchuo.or.jp/guidance/hamakouen/ (四国中央市スポーツ協会)
【紙のまち資料館】
所在地 〒799-0101 愛媛県四国中央市川之江町4069−1
サイト https://www.city.shikokuchuo.ehime.jp/site/kaminomachi/ (四国中央市役所 産業支援課)
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【四国中央市関連アーカイブ】
白亜の天守が見守る町-川之江城と紙のまちの誇り-(川之江城|愛媛県四国中央市)
https://www.kotobus-express.jp/column/2025/05/kawanoejo-250501.html
四国の真ん中「霧の森」で味わう五感旅(新宮|愛媛県四国中央市)
https://www.kotobus-express.jp/column/2022/07/kirinomori-220729.html