四国のおすすめ観光スポットをご紹介

別府観光の父と称される人物の源流<油屋熊八墓所/愛媛県宇和島市>

kuma8004.JPG

「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」

宇和島に生まれ別府へ移り、別府温泉を全国的に有名な温泉観光地に育てた人物の墓所が、宇和島城下の寺院にあります。

油屋熊八(あぶらやくまはち)

kuma8005.jpg

「別府観光の父」
天国から舞い降りた油屋熊八が、別府を訪れる観光客に「やあ!」と呼び掛けている姿。マントの裾を引っ張るのは地獄の鬼。鬼は別府=地獄の連想から。

宇和島に生まれ27歳で町議員を務める等したが、大阪に出て米相場師として成功。巨万の富を得る。しかしながら日清戦争後にそれらは無一文となり、アメリカへ渡り放浪。現地の教会でキリスト教の洗礼を受け、3年後帰国。
帰国後はしばらく大阪の愛人である亀井タマエさん宅に身を寄せ暮らしていたが、そこで別府温泉の噂を聞き再起を図るべく別府へ移った。

「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」
のキャッチフレーズを考案。大正14年(1925)にはそれを記した標柱を富士山山頂に立てるなど、あの手この手を用いて別府温泉の喧伝に努めた。

「旅人を懇ろにせよ(たびびとをねんごろにせよ)」
クリスチャンだった熊八は、新約聖書の一節にあるサービス精神を実践するため「亀の井旅館」を創業。後に洋式に改装して亀の井ホテルとした
→現在の別府亀の井ホテル

バス事業を立ち上げ、日本で初めて女性バスガイドが同乗する定期観光コースの運行を開始
→現在の亀の井バス

女性は和装が一般的だった時代。洋服を着用した姿は大きな話題を呼び、当時の女性の憧れとなった
→全国で見ることができる定期観光コースの始まり

温泉マークを考案して地図に掲載
→現在の地獄めぐり

大阪商船に掛け合って大型船が着岸することができる岸壁の整備
→現在の別府観光港

自動車道の建設を推進して由布院にゴルフ場や別荘地を建設
→現在の由布院開発、やまなみハイウェイ(九州横断自動車道の一部)

ほかにも発案・実現させたアイデアは数え切れないほどある。

kuma8010.JPG

そんな油屋熊八ですが、墓所は生まれ故郷の愛媛県宇和島市。寺院裏手の斜面で宇和島城を眺める場所にあります。

宇和島城下の寺院

kuma8002.JPG

光国寺(こうこくじ/愛媛県宇和島市)

宇和島城へ繋がる道を真っ直ぐ進むとこちらの場所。背後に山がある行き止まりの地点です。伊達家由来の禅宗寺院が多い宇和島らしく、臨済宗に所属する禅寺。

kuma8003.JPG

境内から宇和島城が見えます。

今でこそ2階建ての家屋や電線が張っていて、家の屋根の間に角度によってお城が見える程度ですが、お殿様が居た藩政時代はそのようなことはなく、城下どこからでもお城を眺めることができた、と想像します。

油屋熊八墓所

kuma8001.JPG

そんな光国寺境内にある油屋熊八(油屋家)の墓は、本堂東側の墓地、やや斜面を登ったところにあります。

こちらの寺にある、とは聞いていたもののそれがどこなのか探しても見つからず、結局お寺の方を訪ねて案内して頂きました(ご多忙のところ申し訳ありません)。

kuma8007.JPG

左側が熊八個人の墓所。

kuma8008.JPG

右側が油屋家の墓所。

kuma8009.JPG

敷地の中には、亀の井遊覧バス(現亀の井バス)の殉職者供養塔?や、寄進の燈籠も。

*「別府の方ですか?」
「?」
「いえいえ、高松です」

お話を聞いていると、別府で観光に携わる方の墓参が度々あるとの事でした。

「別府亀の井ホテル」「亀の井バス」
現在は別の経営者となっていますが、元を辿れば同一人物である油屋熊八によるもの。別府を世界的に有名な温泉観光都市に育て上げた人物の源流は、お城が見えるこの城下町にあります。

光国寺

< 自家用車 >
高松駅から 約3時間、237km
松山空港から 約1時間20分、95km

※ 主な地点からの最速・最短距離

この記事を書いた人

野瀬 章史
野瀬 章史/ゲストハウスそらうみ 四国八十八ヶ所霊場会公認先達 法名・照山の僧籍

四国高松でゲストハウスそらうみを運営する傍ら、四国八十八ヶ所霊場会公認先達として、お遍路さんの案内を務める。法名・照山(しょうざん)の僧籍も持つ。趣味はバイクツーリング、カヌー、登山、鉄道、料理など。日本の全離島・全地点を隅々まで回るべく、愛犬しょうとの日本一周旅の途上。