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戦時単線化の跡と松山を代表する文豪の句碑<高浜-梅津寺間/愛媛県松山市>

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戦時中に行われた不要不急線政策によって単線化が行われ、再び複線化されることなく運行されている伊予鉄道高浜線末端区間の「高浜(たかはま)-梅津寺(ばいしんじ)」間。途中にある県道の跨線橋から鉄道の敷地を眺めると、複線だった路線の片側が剥がされ今に至ることを、よく見て取ることができます。

文豪の街・松山を代表する文豪の句碑

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高浜から梅津寺の間には緩やかな勾配があり、鉄道線はこの部分をかつては隧道(ずいどう、トンネル)、現在は切通(きりとおし)で越えています。
県道はその切通上部に架けられた跨線橋で越えますが、ここから鉄道線を眺めるとかつて鉄道が複線で運行されていた跡を、よく見て取ることができます。

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興居嶋へ魚舟いそぐ吹雪哉(ごごしまへうおぶねいそぐふぶきかな)

高浜-梅津寺の間に置かれている俳句句碑は、文豪と呼ばれる偉人を多数輩出した松山の中でも第一人者と言える「正岡子規(まさおかしき)/1867-1902」のもの。揮毫は子規の自筆。

句が詠まれたのは明治25年(1892)。「吹雪」から冬の句であることがわかる。「興居嶋(ごごしま)」は高浜沖にある「興居島(読み同じ)」で、好漁場である島の周辺へ魚を獲る舟が集まる情景を詠んだもの。
興居島は高浜から2kmという至近距離に位置し、「伊予小富士(いよこふじ)/282m」と呼ばれる端正な山容の山を有する。その親近感からか、正岡子規自身も興居島を詠った句は多い。

新時代の俳人として数々の門人を生み、英語教師として松山に赴任した夏目漱石(なつめそうせき)とも親交があった正岡子規だが、当人は若かりし頃ベースボールプレイヤーとして野球をとても好んでいた。「ベースボールほど愉快にみちたる戦争は他になかるべし」とも。
子規当時の野球は日本に導入されて間もない頃で、呼称は「ベースボール」。子規はベースボールに夢中になるあまり、自身の幼名「升(のぼる)」に因んで「野球(の・ぼーる)」の雅号を用いた。この漢字表記が後に「野球(やきゅう)」と読まれるようになり、日本語における呼称として定着したと言われています(※諸説あり)。

夏草やベースボールの人遠し(なつくさやべーすぼーるのひととおし)

明治31年(1898)の句。晩年は喀血(かっけつ)を繰り返すなど、当時は不治の病と恐れられていた結核菌に冒され35歳の若さでこの世を去った正岡子規。この句は病床に伏していた子規が、若い時分に熱中した野球の記憶を詠んだものと想像される。
病によりプレーヤーとしては引退せざるを得なかったものの、文学を通じて野球の普及に貢献したことが評価され、正岡子規は平成14年(2002)には野球殿堂入りを果たしています。

かつて存在した遊園地

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梅津寺公園<ばいしんじこうえん/愛媛県松山市>

伊予鉄道が保有する、その名の通り梅や桜を鑑賞するための庭園。かつては「梅津寺パーク」の名で、観覧車やジェットコースター等の遊具を楽しむこともできるテーマパークでした。平成21年(2009)閉園。

現在はこちらの残された梅園の他、みきゃんパーク梅津寺が新しく開業。各種遊具があった区画は解体の後サッカーJリーグ・愛媛FCのクラブハウス兼練習場「愛フィールド梅津寺」として運営されています。

旧型鉄道施設の跡

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高浜駅の次駅である梅津寺駅が近づいたところで、あるものに気が付きました。

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現役のコンクリート架線柱の根元に隣接してコンクリート台があります。写真を見返していけば、どこもこのようにコンクリート基礎台が二つ並んでいました。

今は台だけになっているコンクリート建造物は、かつての架線柱の基礎跡。ここに鉄製の架線柱が立っていたようです。高浜-梅津寺の区間はその旧式架線柱が全て交換されて見ることができませんでしたが、梅津寺-港山など他の場所には一部それが残されています。

戦時中に単線化された部分の複線復活化は凍結されている状態ですが、架線柱は経年劣化に伴って新しい物に交換されているようです。

単線化された区間の乗車

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梅津寺駅に歩行到着後、高浜港に停めている自家用車を取りに戻るために、一区間列車に乗車しました。これはこれで列車目線でかつて複線だった跡を見ることができるので、楽しみです。

ここは県道が跨線橋として線路をまたぎ、正岡子規の句碑が置かれている地点。かつてこの部分は高浜隧道(たかはまずいどう)としてトンネルになっていましたが、現在は開削されて切通になっています。

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切通を過ぎて、種田山頭火の句碑がある地点。ここでも複線だった跡を、とても良く見て取ることができます。

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2020,2/21 戦時単線化の跡と山頭火上陸の地<高浜-梅津寺間/愛媛県松山市>

昭和20年の単線化から今年で75年が経ちますが、不要不急線に指定され剥がされた線路の跡地は、はっきり見て取ることができます。

これは想像ですが、高浜線には高浜-松山観光港の延伸計画があり、そのプロジェクトが実現するとこちらの複線用地には再び線路が敷かれ、この鉄道用地は再び日の目を見る日が来るのでは、と思います。

実現に向けては数々の難題があるようで具体化していないのが実情ですが、その日まではおそらくこの状態。まだしばらくは戦争の爪痕とも言えるこの不自然な景色を堪能したいと思います。

正岡子規句碑

< 自家用車 >
高松駅から 約2時間20分、167km
松山空港から 約20分、7.7km
< 公共交通機関 >
伊予鉄道高浜線 梅津寺駅下車、徒歩3分

※ 主な地点からの最速・最短距離

続き

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この記事を書いた人

野瀬 章史
野瀬 章史/ゲストハウスそらうみ 四国八十八ヶ所霊場会公認先達 法名・照山の僧籍

四国高松でゲストハウスそらうみを運営する傍ら、四国八十八ヶ所霊場会公認先達として、お遍路さんの案内を務める。法名・照山(しょうざん)の僧籍も持つ。趣味はバイクツーリング、カヌー、登山、鉄道、料理など。日本の全離島・全地点を隅々まで回るべく、愛犬しょうとの日本一周旅の途上。