コトバスコラム

四国最先端の岬は かつての軍事要塞 < 佐田岬・穹窖砲台 / 愛媛県 >

穹窖砲台1

四国愛媛の西の端。ながーく伸びた "佐田岬半島"
半島付け根から 先端までの距離約40kmは、「日本一細長い半島」 と言われる。

海から切り立った急峻な山地が背後にあり 平地に乏しい地形のため、先端の街・三崎まで国道が開通、バスが走り始めたのは昭和30年代後半。それまでの集落間の移動は専ら船。
国道は開通したものの 海沿いの悪路であり、国道番号197号をもじって "行くな(197)国道" と揶揄。依然として移動を船舶に頼らざるを得ない状況が続いたが、昭和62年(1987)に 「佐田岬メロディーライン」 が開通。現在は山の稜線を走る快走ルートとなっている。

集落の殆どは半島の南側に集中しているが、これは半島北側は季節風の影響を受けやすいため、航路が発達しなかったことが大きい。

四国最西端・佐田岬灯台

穹窖砲台2

佐田岬半島の先端にある 「佐田岬灯台」

穹窖砲台3

臺燈岬田佐
右から読んでください。初点灯は大正7年4月1日。

世界史では第一次世界大戦中 → 11月終結
日本では 富山県で米騒動が起こった年 → 7月

- 豆知識
戦前の日本の横書きは右から書いたと一般的に解釈されるが、それは誤り。横書きの概念は 公式的には存在しない。新聞や看板等で字の大きさを強調するために 「縦書きを一文字ずつ改行したもの」 が正しい。戦後、連合国軍の占領によって横書きが誕生。表記もアルファベットに従って左から書くようになった。

穹窖砲台4

佐田岬と灯台の位置関係
四国と言う土地柄、お遍路さんの間で語られるのが 「佐田岬に札所が無くて良かったね」
半島に道路が通ったのは戦後の事。徒歩で往来することが不可能だったので、さすがの空海さんでも行けなかったのでしょうね。

穹窖砲台5

灯台から眺める西方向・速吸瀬戸(はやすいせと)
まるで川のように速い流れ。はっきり見える島が高島(無人島)。その奥が大分県の "佐賀関(さがのせき)"関アジ・関サバ の産地で有名。晴れた日には佐賀関にある精錬所の大煙突がよく見えます。

穹窖砲台6

佐田岬 - 佐賀関の距離約16km。豊予海峡(豊後水道) で この部分の陸地が 特に突き出ていることがわかります。
言わば天然の桟橋のようなもの。風がよく吹くわけです。

陸軍によって築かれた穹窖砲台

穹窖砲台7

灯台がある展望台直下をご覧ください。二つの穴が口を開いています。

穹窖砲台8

穹窖砲台(きゅうこうほうだい)
第二次世界大戦時、敵艦の本土侵入を防ぐため、陸軍によって築かれた 豊予要塞の一部。灯台直下に二門、後述の島に二門。計四門存在する。終戦間際の昭和20年(1945)に完成した。

が、旧式野砲の配備だったため

海中を潜航する潜水艦に対して無意味 → 頻繁に通過を許した
この上空を頻繁に敵機が進入したが、対空砲としても使えない

実戦を経験することなく 終戦を迎えたことは、幸いだったことにしましょう。

御籠島にある穹窖砲台

穹窖砲台9

こちらは佐田岬よりもう少し先、御籠島(みかごしま) に造られた砲台跡。海からせり出した断崖絶壁の上に立ち 外からの進入は不可能。

この場所を含む 豊予要塞一帯は、戦後 中四国の占領を担当した英国軍によって爆破処理が行われ 破却された。再利用を防ぐためと記録されている。現役稼働時は進入路があり 内外からの出入りが可能だった様子。

穹窖砲台10

脆そうな岩盤と 見るからに深そうな海...
昭和19年(1944)には この場所で作業を行っていた兵隊さんが滑落して死亡、近くには母が建立したお地蔵さまが立っています。

四国の本当の西端っこ 「御籠島」は戦時中は海に隔てられた島だったが、戦後 養殖事業者によって 佐田岬と陸続きに。その後 廃業により立ち入りが制限されていたものが、近年 伊方町によって遊歩道が整備され、こちらの砲門内に入ることができるようなっているようです!

自分が訪問した数年前は 遊歩道は無く、崖を上り下りして ようやくこの場所にたどり着いたものでした。さすがにこの場所は あまりの崖っぷりと海の色にびびって、進入を断念。

戦争遺構を目の当たりにして...

このような戦争の遺構を見た時 いつも想うのが、お国を守るため・家族や地域の名誉のため 青春時代を捧げた先人たちがいて、無念にも多くの命が失われたこと。

今日では "お国のために" とは少し大げさな表現になってしまいますが、もっと身近なところで "誰かのために何かできているかな...?"
社会に生かさせてもらっている以上 自分ばっかりというわけにはいきません。それを自身に問いかける好機会が与えられるのが 戦争遺構であるような気がします。

先人たちの功績に敬意を払いつつ、安全に行くことができるようになった今。改めてこの場所に来て 平和の尊さを 肌で感じたいと思います。

< 自家用車 >
松山空港から 約2時間30分、105km
高松駅から 約4時間、257km

※ 主な地点からの最速・最短距離

この記事を書いた人

野瀬 章史
野瀬 章史/ゲストハウスそらうみ 四国八十八ヶ所霊場会公認先達 法名・照山の僧籍

四国高松でゲストハウスそらうみを運営する傍ら、四国八十八ヶ所霊場会公認先達として、お遍路さんの案内を務める。法名・照山(しょうざん)の僧籍も持つ。趣味はバイクツーリング、カヌー、登山、鉄道、料理など。日本の全離島・全地点を隅々まで回るべく、愛犬しょうとの日本一周旅の途上。